名君・細川重賢の時代に生まれた名物料理。「一文字のぐるぐる」

2026/10/27

名君・細川重賢の時代に生まれた名物料理。「一文字のぐるぐる」

Photo/
Kuribayashi Shigeki, Natori Kazuhisa, Styling/Joh Motoho
Text/
Sakai Yuji

一文字のぐるぐる
熊本の一文字のぐるぐるは、ねぎ(わけぎ)を茹で、根元を軸にして葉を巻き付けたもの。
ほどよい甘みと歯応えを楽しめる、酢味噌などでいただく春の名物です。

撮影協力 : 熊本郷土料理 青柳

質素倹約を率先した
六代藩主の治世に誕生。

 熊本の郷土料理、一文字のぐるぐる。その“一文字”とは、ねぎの隠語。ねぎは漢字で書くと「葱」という一文字のため、それをぐるぐる巻き付けたことからついた名前といわれています。この料理が誕生したのは、江戸時代中期。名君との誉れ高い六代藩主・細川重賢(ほそかわ・しげかた)の治世。宝暦の改革と呼ばれる、財政難に苦しんでいた藩の立て直しが行われた時代です。
 重賢は、直面していた財政面での苦境を乗り越えるため、地場産業の振興に着手。さらに倹約令を出して率先垂範し、質素な暮らしを奨励します。贅沢な酒や肴は禁じられる中、安価でおいしい料理をと工夫されてできたのが、ねぎを素材にした一文字のぐるぐるです。旬の時期の春めく頃、好んで食べられるようになり、やがて熊本の郷土料理として定着しました。
 重賢の主な治績は、綱紀粛正と人材育成。大奉行職を新設し権限を集中して藩士の意識と行動改善に取り組む一方、教育に注力。庶民にも入学を許した藩校・時習館を熊本城二の丸に設立したことが知られます。時習館はのちに、幕末を代表する思想家・横井小楠(よこい・しょうなん)を輩出しました。

 ほかにも、医学校の再春館や薬草園を開設。日本初の刑法典といわれる「刑法草書」を編纂するなど、後世に影響を与えた先駆的な取り組みにも手腕を発揮しました。のちに大日本帝国憲法を起草した井上毅(いのうえ・こわし)もまた、時習館に学んだ熊本の人物です。
 なお、重賢の藩政における功績ばかり見ると、禁欲的で謹厳な藩主という印象ですが、他の視点から見ると、また違った人間らしい魅力が浮かんでくる人物です。重賢と同時代を生きた旗本、根岸鎮衛が世間話をまとめた『耳嚢(みみぶくろ)』には、「慈仁思慮」の賢人として登場。配膳で失敗をした人に対し、こまやかな気配りをするさまが書かれています。その深慮と、機転をきかせて問題を解決する颯爽とした姿は、まるで歌舞伎の名場面を観ているかのよう。
 さらに、肥前国平戸藩主・松浦静山が著した随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』では、将軍・徳川家治の特旨で重賢が少将に昇進した折、素朴に喜んで正月に「元日やゐもな(芋菜と位も名の掛詞)もあがる雑煮かな」と駄洒落めいた句を詠む様子も。愛嬌たっぷりの、愛された上様だったのかもしれないとその横顔がしのばれます。
 また、能楽への傾倒も一通りではなかったようです。『重賢公逸話』(熊日新書)によると明和五(1768)年に記された日記の表紙裏には、その年に稽古する能の作品名が書き込まれています。驚くことにその中には、円熟した能楽師のみが上演を許される『当麻(たえま)』や、恨みや未練などの人間の執心に通暁していなければ役を全うしえないであろう『通小町』もあり、能への並々ならぬ熱意と技量とともに、起伏と振幅のある感情生活を送ったであろう境涯をうかがわせます。重賢は鳥類や昆虫の図鑑も遺しており、人間のみならず、生き物のいのちを見つめることに熱中できる性質だったのかもしれません。

細川重賢
1720(享保五)〜1785(天明五)年。
4代藩主・細川宣紀の五男。先代の兄・宗孝が不慮の死を遂げたため、部屋住みの身から急遽藩政を担う立場となる。

column

編集部でアレンジした
“ぐるぐる”はこちら。

ピンチョス
ひともじのぐるぐるピンチョス
 
もとの春のイメージを生かしてピンチョスにアレンジしました。サワラの酢漬けと洋風酢味噌でさっぱりとした味わい。

「pomodoro」(ポモドーロ)とは……「pomodoro」(ポモドーロ)とは……

 「熊本がもっとおいしくなる」をコンセプトに、熊本のグルメ情報や文化をお伝えするフリーマガジンです。年3回発行し、熊本市内の交通要所や観光名所等で配布しています。

 pomodoroは、トマトを意味するイタリア語。
 イタリア料理の食材と、熊本で採れる食材は共通点が多いことから名付けました。

 フリーマガジンとウェブ版である当サイトは、阿蘇の高森町に第二本社を置く出版社コアミックスが発行・運営しています。