熊本駅から徒歩3分。朝7時から11時までの短い営業時間にもかかわらず、朝ごはんをめあてに国内外から観光客が訪れる店があります。
お店の名前は、「朝ごはんの店 タラチネ」(以下、タラチネ)。
タラチネ(垂乳根)とは、和歌で「母」にかかる枕詞。店主の境真由美さんが、私たちの体を思って支度してくれた、心づくしの朝食が待っています。
卵かけごはんが
いちばん人気。
「熊本は飲食店が多く、修行をされたプロの方々が、さまざまなジャンルの料理で楽しませてくれます。ただ、そのほとんどはランチとディナーのお店。朝ごはんを食べられる飲食店が少ないなと思っていました」
そう語るのは、「タラチネ」の店主・境真由美さん。
「3人の子育てを経験したからでしょうか、親元を離れて住む学生さんや一人暮らしの方向けに、家庭的な朝ごはんを提供するお店があればと思っていました。そして、そんなお店を自分で開いてみたい。そのことを、20年来の知人であり、このビルのオーナーである徳永龍磨さんとひさしぶりに会ったときにお話したところ、『うちの2階が空いているからお店を開いたら?』と言ってくださったんです」

(左)タラチネ店主 境真由美(さかい・まゆみ)さん。熊本県生まれ。アメリカへの留学経験があり、海外からの来店客とは英語でやりとりしています。
(右)「徳永酒店」5代目店主 徳永龍磨(とくなが・たつま)さん。
2020年5月、「タラチネ」がオープン。当時もいまも、メニューは3種類です。日替わりのおかずをメインにした和食のセット。8種類の具材をのせた卵かけごはんのセット。そして、フレンチトーストとコーヒーのセットです。ほかにも、10種類前後の小鉢が用意され、めだま焼きやスープなどのサイドメニューも充実しているため、自分好みにカスタマイズすることも可能です。

日替わり小鉢の「鶏もも肉と湯豆腐の卵黄だれがけ」。醤油、みりん、かつお節、卵黄でつくったたれは境さん特製です。

日替わりの小鉢は、毎朝5時から境さんが手づくりしています。
いちばん人気は、卵かけごはんのセット。塩昆布・とろろ昆布・海苔・しゃけフレーク・お新香・高菜漬け・かつお節・手づくりの生姜の佃煮で彩られた、見た目も楽しいメニューです。卵は、〝トップラン卵〟を使用。これはサフランという植物を食べて育った鶏から産まれた卵のこと。養鶏では魚粉を飼料とすることが多く、それが卵の生臭さの原因でもあります。一方、トップラン卵は生臭さがなく、黄身の色も鮮やか。さらに、黄身と具材がほどよく調和し、何度口に運んでも飽きがこない味わいです。「混ぜすぎないことが、おいしく召しあがっていただくポイントです。8種類の具材それぞれで違った味わいになるので、その一つひとつを楽しんでもらえたらと思います」

卵かけごはんセット 1,100円(税込)
小鉢と海苔つき。8種類の具材がのった卵かけごはんと、日替りの小鉢、味噌汁、漬物が食べられます。

メニューボード。絵入りでわかりやすく、かわいい。
自分で見て選ぶ。
食材選びのこだわり。
「毎日、産地直送のお店や八百屋さんを回って、旬の野菜と目新しいものを仕入れています。自分の目で見て選びたいので、業者さんの配達は頼んでいません」。境さんは毎朝5時から仕込みをし、11時に営業が終わると、その足で翌日分の買い出しに向かいます。立地的に県外からの来店客も多いため、熊本らしいメニューを心がける一方、珍しい野菜も織り込み、地元の方にも楽しんでいただけるよう工夫しています。

熊本らしさと、旬を味わえる「タラチネ」の小鉢。

和食セット。メインは肉団子のトマト煮。オートミール入りでふわふわ。
そんな境さんが重視しているのが、お米と海苔です。「うちで使っているのは、玉名市で収穫された『れんげ米』。お米本来の香りと甘味がしっかり感じられる、ほかにはないおいしさのお米だと私が思うからです。海苔は熊本市の『肥後屋』のものを仕入れています。風味がよく、旨味がぎゅっと詰まっていて、お米との相性がよいです」
れんげ米を食べてみると、お米の粒が立っていて、口のなかで存在感があります。なにより、風味と甘味にすぐれていました。このおいしさは、どのように生まれるのでしょうか? 「タラチネ」がれんげ米を仕入れている米農家さんに、その秘密を聞いてみました。
れんげ草と名水が
育む、れんげ米。
れんげ米のおいしさの秘密を教えてくれたのは、玉名市横島町の米農家・徳山純一さんです。
れんげ米は、れんげ草というマメ科の植物を肥料にしたお米。れんげ草は、稲の初期生育に必要な窒素成分を根に取り込み、すぐれた肥料となります。れんげ草を肥料とした田んぼは、土壌に力がつき、強い稲を生みます。こうして化学肥料いらずのれんげ米が育ちます。

れんげ草を肥料とした米づくりを「れんげ農法」といいます。

徳山さんのれんげ米。炊きあがりはふっくら。
また、「横島町を流れる菊池川の源流は、環境省の名水百選にも選ばれた菊池水源です。ミネラルが豊富な水のため、栄養たっぷりのお米を育てることができます」とのこと。
れんげ米を育てるに至った経緯を聞いたところ、「6年前、近くの農家で育てていると聞き、試しに種もみをもらって植えたのがはじまりです。収穫して食べたとき、そのおいしさに衝撃を受けました」と徳山さん。それ以来、お米づくりはれんげ米を中心に手がけるようになりました。自分の目を隅々まで光らせ、手間をかけることのできるよう、田んぼを広げることはせず、丁寧に栽培しています。
「米づくりは、何より水の量が大事です。5月初旬に田んぼを耕し、6月中旬に田植えします。そこから7月中旬まで水が切れないように管理します。そして、7月下旬には一度水をすべて抜き、稲の根を地中にしっかり張らせます。熊本は台風の多い土地。そうすることで、強風にも強い稲に育ちます。
その後も、水を入れたり、抜いたりを繰り返しながら育て、10月上旬に稲刈りをします。いまは機械でできる作業が増え、昔と比べたら平地での米栽培はずっとラクになりました」と笑顔で教えてくれました。
笑顔を届ける
農家へ。
徳山さんには、おいしさを追求しようと思ったきっかけがあります。
「2016年に熊本地震が起こり、県内各地で食料が不足しました。農家の私に何かできないかと思い、うちで栽培したトマトを避難所に持っていったところ、食べた人が泣いて喜んでくれたのです。その姿が忘れられません。食べた人が笑顔になるものをつくりたい。そう思い、そのためにおいしさを追求するようになりました」
食べてくれる人に笑顔をと、徳山さんが愛情を込めてつくったれんげ米。その心のバトンを受け取った「タラチネ」の境さんが、さらに気持ちを重ねて、おいしく料理します。「タラチネ」の朝ごはんを食べた人が、今日も笑顔でお店をあとにしていきました。

徳山 純一(とくやま・じゅんいち)さん
1972年、熊本県玉名市生まれ。2017年、食べてくれる人に笑顔を届けることをモットーに、食材の通信販売を行う株式会社えがおファクトリーを設立。


