宮本けんしん
Enrico Croce エンリコ・クローチェ
つながって生きる。
熊本の食が結ぶ
人と土地。
ローマで育った私にとって、イタリア中部のトスカーナはいつも魅力的な土地でした。この美しい地域には特有の「色」と「香り」が広がり、その魅力は訪れる者すべてを引き込むばかりでなく、イタリア人にとっても特別な場所として輝き続けています。子どもの頃から、週末になるといつも両親に「トスカーナに行ってみない?」と熱心に提案していました。
そんな思い出深いトスカーナの息吹を感じるお店に、イタリアから遠く離れた日本の熊本で出合うことになるとは思いませんでした。
『アンティーカ・ロカンダ・ミヤモト』(antica locanda MIYAMOTO)は、トスカーナでイタリアンを学び、伝統的なイタリアンをベースに、熊本の食材を使った料理を提供する宮本けんしんさんがシェフのレストラン。宮本さんのお話を聞けば聞くほど、料理の魅力とは味だけではなく、地域の歴史や文化、そしてそこに込められたシェフの心からのメッセージにあると再確認しました。今回は、食を通してつながる人と人、土地と土地の絆を感じながら、『アンティーカ・ロカンダ・ミヤモト』のすばらしい世界を堪能いただければと思います。
お客さまとの
距離を縮める―。
店名に込めた思い。
Il significato dietro
il nome
del ristorante.
レストラン『アンティーカ・ロカンダ・ミヤモト』が位置するのは、熊本城からほど近く、かつては武家屋敷が連なった新屋敷というエリア。白川が静かに町を貫流する美しい景色は、夜になればローマやフィレンツェのような情緒があります。川のせせらぎを感じながら熊本の歴史を体感できるこの場所で、レストラン『アンティーカ・ロカンダ・ミヤモト』は熊本の「あか牛」をメインとしたシンプルかつ奥深いイタリアンを提供しています。
「antica」とは「昔ながら、歴史がある」、「locanda」とは「旅籠、あずまや」の意味。日本のイタリアンでよく見かける「Buono(おいしい)」や「Felice(幸せ)」などの単語と異なり、日本の方にはあまりなじみがないであろうこの言葉。シェフの宮本さんに店名の由来とそこに込められた思いを聞きました。
「イタリアでも日本でも、名前に『ヴィラ』とつくお店をよく見かけますが、『ヴィラ』や『レストラン』という言葉からは少し高級で格式あるイメージを受けます。私は自分のお店は、ゆっくりとリラックスしてもらえる空間にしたかった。 そしてシンプルでおいしい熊本の食材を楽しんでもらいたい。お客さまに、旅先の旅籠のような安心感のある時間を過ごしてもらいたい。そんな思いを込めてつけた名前です。熊本地震やコロナ禍を経て、お客さまとともにゆっくり時間を過ごすことが私にとっての理想だと改めて感じました。
お店のある新屋敷は、阿蘇から湧き出る白川と、加藤清正によってつくられ現在も農業に利用されている大井出川に囲まれた、自然と歴史に満ちた場所です。だから『antica locanda』(歴史がある旅籠)にしました」
『アンティーカ・ロカンダ・ミヤモト』は一歩足を踏み入れると、洗練されたなかにも温かな空気が流れ、ほっと一息つける空間が広がっています。店内についてのこだわりをたずねると、芦北産の杉や美里町産の石材など、熊本の素材が使用されていることがわかりました。イタリアの田舎の伝統的なレストランと同様に、地元の石材や木材で構築されたその空間は、友人であり、ミラノで活躍するインテリアデザイナーの竹田克哉さんと相談して生まれたそうです。
イタリアの風景を熊本の天然素材で再現したその場所にいると、新しさとなつかしさが合わさった不思議な感情に包まれ、その居心地のよさからつい長居してしまいそうです。宮本さんは、子どもの頃は「料理人になりたくなかった」のだそう。彼がなぜこのお店を開くに至る、料理人という道を選んだのか、その興味深いエピソードに迫りました。
シェフ
宮本けんしんが
できるまで。
Come
Miyamoto Kenshin
è diventato Chef.
「両親は熊本で初めて本格的なイタリアンを営んでいたので、非常に忙しかったんです。その姿を見てこんなに大変な仕事はしたくないと思いました」。しかし、19歳のときのイタリア留学が宮本さんの料理への思いを変えました。
「フィレンツェに留学した際、イタリア国内を巡りさまざまな料理と出合いました。最初にトスカーナで食べた肉料理のビスッテッカは、赤ワインのキアンティとよくなじみ、印象に残る食体験でした。そのあと、北イタリアへも足をのばしてみると、そこには自分がトスカーナで体験したものとはまったく違う食文化があったのです。ジェノヴァでは赤ワインではなく白ワイン、肉料理ではなく魚料理。味わったことのないパスタの数々。ミラノに行けば、お店のなかはオリーブオイルではなくバターの香りが広がっている。同じ国なのに地域ごとにこんなにも豊かな料理のバリエーションがあるのか、という衝撃が忘れられず、もっと知りたいという気持ちから勉強を始めました」
やがてイタリアの名店である『ラ・テンダ・ロッサ』や『ラ・シリオラ』、そして『ヴィッラ・ロンカッリ』で修業を積んだ宮本さんは、海鮮料理やバジルペーストで世界的に有名なジェノヴァから、中世の遺跡が多く残るフォリーニョまで、各地でローカル料理を学びます。熊本へ帰ったあとに、31歳で初めての店『リストランテ・ミヤモト』をオープンしました。
「若い頃はフュージョンやモダン料理に興味を持っていたので、『リストランテ・ミヤモト』ではモダン料理と本格的なイタリアンを提供しました。しかし、経験を積むなかで徐々に気づくことが増えました。結局、モダンなアプローチには終わりがない。いくら重ねてもシンプルな手法でつくられた料理、たとえば、おいしい肉で焼いたビステッカ アッラ フィオレンティーナ(フィレンツェ風Tボーンステーキ)にはかないません。シンプルさこそが伝統的なイタリアンをつくるうえで非常に重要かつ難しいことであると考えるようになりました。そんなとき、食材へのポリシーを変える決定的な出来事がありました。2016年の熊本地震です」
「熊本の
自然の“炎”が
自分を変えた」。
Il fuoco naturale
di Kumamoto
mi ha cambiato.
「熊本地震では、電気やガスが止まりました。そんな状況で料理人としてできることを模索したときに、たまたま店に炭があったので、自分の料理の原点であるトスカーナの伝統的な焼きかたを意識したお肉をもって炊き出しに行きました。口にした方々が喜んでる姿を見て、料理人としてこうしたプリミティブな方法に寄り添うことの大切さを意識し始めました」
そんなある日、住宅群の8割が全壊するほどの被害を受けた集落を、宮本さんは訪れます。季節は春。植えられていたタマネギが、上に向かって芽を出そうとしているのが見えたといいます。「人々を励ますかのように、植物が〝自然の炎〟を放つその姿に、感動しました。それをきっかけに、食材一つひとつを大切にすることを心に決め、自然のものを使いながらシンプルでおいしい料理をつくろうと考えるようになりました」
熊本の食材を使った、
イタリアと熊本を
つなぐ料理。
Una cucina
che unisce
l’Italia e
Kumamoto.
宮本さんのお話を聞き、地元の土地や自然への思いは熊本とイタリアをつなぐ共通点だと感じました。イタリアでも、私たちの祖父の時代から「家庭の近くにある農場で採れた食材を使い料理をつくる」という考えかたがあります。これはスローフード運動などを経て次第に「Km 0」(キロメートルゼロ)と呼ばれる合言葉となりました。生産地と消費地の距離はできるだけ近いほうがよい、つまりKm 0が理想だというイタリアの食文化の一つとなったのです。日本でも「地産地消」「マイクロツーリズム」といった言葉を耳にしますが、これらを実現するのは簡単なことではありません。しかし『アンティーカ・ロカンダ・ミヤモト』は、宮本さんの強い思いと独自の取り組みにより、熊本における地産地消や、それを推進するプロジェクトへのサポートが実現できているのだと感じます(7ページのコラム参照)。
「テリトーリオ」というイタリアの食文化があります。これは、市街地と周辺の田園や農村が密接に結びつき、協力し合って共通の経済・文化圏を形成し、独自の特色を示すローカルのコミュニティを指します。宮本さんが企画協力・料理創作として参加し、2015年に出版された『食の大地くまもと』では、熊本県の各地域の農家が育てる野菜について細かに書かれており、それを読んだときに宮本さんの「テリトーリオ」への敬意を感じました。
熊本は奇跡の県。
Kumamoto?
Per me,
una regione
miracolosa.
最後に宮本さんにした質問は、「熊本という土地は、宮本シェフにとってどんな場所なのか?」でした。
「熊本は、私にとって奇跡の県です。阿蘇のように日本でいちばん大きな草原があり、冬はマイナス10度にもなる山間の寒冷地もあれば、天草の海にはサンゴ礁が広がっている。ここには日本の自然や生態系がすべてあると感じます。めずらしい土地だと思いますので、観光客のみなさまには、さまざまな顔を持つ熊本をぜひ体験していただきたいです」
私、ローマで育ったエンリコは、熊本市内にいながら不思議な旅をした気がします。熊本の豊かな自然とおいしい食べ物に触れながら、宮本さんが修業したイタリアの各地域を感じることができました。この店の名前の意味は、そこにあるのではないかと感じました。
皆様も熊本市内にいらっしゃる際には、ぜひ『アンティーカ・ロカンダ・ミヤモト』を訪れ、宮本さんのイタリアの思い出と、熊本の食材でつくられたその〝炎〟を感じながら、調理の原点である「焼く」というシンプルかつプリミティブな行為に寄り添った料理を味わってみてください。